丹波の恵みを語る
丹波をテーマに関連のある方々へのインタビューやエッセイをご紹介。
丹波への思いや、かかわりについて語っていただきます。
色々な方々の目に映る様々な角度からの魅力をお楽しみ下さい。
丹波の誇りは森と実り
世界では森が消えている。緑が失われ、多くの生命が消えて行っている。
だが幸いなことに、日本にはまだ山がある、森が生きている。ただ、森が「荒れている」と言われて、もう久しい。
日本の森は自然のままの原生林のほか、人が手を入れ植樹して育てた人工林や薪炭林である雑木林や松林も多い。薪炭林や松林では、植林はほとんど行われず、自然の再生力と人間の収穫との絶妙なバランスで成り立っていた。
それが時代の流れにより、収穫を突如止めたことによるバランスの崩壊が原因なのだ。
森が荒れれば、動植物が住めなくなり、希少種は滅び、環境の大打撃。水が森に蓄えられないことからてっぽう水になり土砂崩れなどの災害にもつながる。
いわば森は病気なのだ。なんとかせねばとはわかっているが……。
NPO法人「森の都研究所」はそうした森の現実をふまえ、生態系調査から環境人材育成や啓発など幅広く活動中の、市島町に拠点を置く団体。
代表の宮川五十雄さんは、大阪から移住してきた環境コンサルタントだ。
「子育てをするなら丹波で、と思ったんです」の一言には、誰もが共感するだろう。
宮川さんのお子さんたちは、さまざまな心配事の多い都会より、自然ゆたかな丹波の方が、どれほどのびのび育つだろう。
うらやましい選択だ。
しかし、自然の多いところなら他にもあるだろうに、なぜ丹波に?
「山のあるところに移住したくてあちこち検討したんですが、丹波の山は、肌合いがいい、というか。けわしい山はなくて、ゆるやかで、なんだか安らぐでしょ」
うーん。これには反論する人はいないはず。
「冬が寒いと言っても北陸の豪雪地帯ほどじゃないし、紀州や河内の山みたいに乾燥しすぎない。空気感が、とてもいい」
そういうのを関西弁で“ほどらい”と言うが、丹波でも通じるだろうか。
過疎というまでには至らぬ民家の集まり具合や、地域コミュニティのテンションも、すべて、ほどらい。
たとえば朝夕の犬の散歩時には、村のおじいさんたちから、さまざまな話を聞かせてもらうことができるなど。
それはおじいさんたちが子供の頃の話で、当時はどの家もお風呂やかまどに薪を使っていて、里山は貴重なエネルギー源だった。
屋根に使う大量の茅も、共同で茅場を管理し順番で葺き替えをした。
つまり、山は、生活していくためには必要不可欠なものだった。「それだけでなく、“山が食わせてくれた”とも言いますね」
知識なんかなくても体験が教える。
山が、人を、育てる。
たとえば里の畑が災害などで不作であったり何も穫れない時でも、山に入れば木の実や山菜、茸など、食べるものが何かしらあった。
ウサギやキジ、猪などジビエと言われるものも時には贅沢な蛋白源だっただろう。
「多少の気候変動があっても何かは実る。それが、山が豊かだということです」
人里のすぐそばにある丹波の山は、まさに、いつなんどきにも人を食わせることのできた豊かな山だった。
木は材木としてまず人のために役立つが、伐られた木の間からは日光が射し、新しい木が育って、人が下草を刈った後には多様な生物が生きられる。
豊かとは、さまざまな命が生きていけるということだ。
「おじいさんたちは、子供の頃に山に食わせてもらったことを記憶しているんです」
なぜなら子供たちはいつも大人のお手伝い。
森に入って、下草や小枝を集めて持ち帰るのが役目だ。
でも子供だからすぐに飽きて、小枝でチャンバラしたり草や木の実を鉄砲玉にして撃ち合ったり、あげくに柴を小束にしたものをにして山の斜面を滑り降りたり。
子供は遊びの天才。遊具などなくても、空間があればいくらでも智恵をめぐらせ、工夫をし、いろんな遊びを考えつく。
同時に、どうなれば危険かということも、ではどうすれば回避できるかも、遊びの中で学んだ。
「知識なんかなくても、体験が教える。山が、人を、育てたんですね」
どこでどんな花が咲いてどんな実がとれ、どこが危険で、どこの景色が美しいか。
村の老人たちが記憶する山の地図は、それぞれの山ごとに異なる。それも含めて、かけがえのない文化であると宮川さんは言う。
ガスや石油燃料が普及し、また材木も外国製の安価なものがふんだんに輸入されるようになり、ちょっと手間のかかる山の恵みは必要なくなった。
つまり、山が「豊か」であるという価値が、意味を持たなくなったのだ。
ただ、里山が荒れて久しい現実は知っている。
そしてそれを残念だとは感じている。市民へのアンケートでも、地元の自慢できるものとは、おいしい農産物と、美しい里山の風景、その二つなのである。
「何かが実っているのを実りとして収穫できる文化がちゃんとあれば、山の価値は活かせます。丹波で、それができればいいですね」
もう地元だけで守れる時代ではない。
縁もゆかりもない遠い都市部に住んでいる人であっても、ここの丹波の山を美しいと思う人なら、同じ志で山をいとおしんでいけるはず。
そのために、宮川さんたちの活動では、山と親しむ、山と遊ぶ、そんなところから始めて荒廃した山に人の意識を向ける。
旅の最後に考えてみた。
丹波の誇り――それは、花や紅葉の綾なす景色。おいしいもの。伝統の祭り。
それから、多くの人の心を虜にする丹波布。
一億年の眠りから覚めた龍も、酒も。
すべてすべて、ここのゆたかな里山なしには生まれなかった文化だった。
そしてそれら自他ともに認める誇れる丹波は、すべて山があってこそはぐくまれた。
丹波の山が、五年後も十年後も、悠久に美しくあれと願うなら、人が、適度に関わりながら守っていくしかないだろう。
もっとも、いきなり大勢の人が来て損なわれるのも心配だから、本当のよさをわかる人たちがちょっとだけたくさん集まって、一緒にそれを大切にできるようなら幸せだ。
さあクルマの屋根を閉めよう。町に帰ろう。
だが、また何度でも、私を呼ぶのは美しい丹波の山にはぐくまれた、素朴ですてきな、人の文化にほかならない。
参考:
『玉岡かおるの丹波逍遥』エピローグ より
玉岡かおる プロフィール
作家 大阪芸術大学教授 兵庫県教育委員
兵庫県三木市生まれ 神戸女学院大学文学部卒業
神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で
文壇デビュー。
『お家さん』(新潮社)で第二十五回織田作之助賞受賞。
『虹、つどうべし 別所一族ご無念御留』(幻冬舎)、
『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)、『ウエディングドレス』(幻冬舎)
ほか著書多数