2006年に
ほかにも
「
「
ふつう
そうだね!
へぇー、もっといろいろ
さぁ、みんなで
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兵庫県丹波市 には、兵庫県 と京都府 を南北 に流 れる2つの大きな川の源流 があります。その2つの大きな川とは、瀬戸内海側 に流 れる「加古川 」と日本海側 に流 れる「由良川 」です。加古川 の源流 の一つ「佐治川 」は丹波市青垣町 から、由良川 の源流 の一つ「黒井川 」は丹波市春日町 から流 れています。丹波市 が川のいちばん上流 にあるのですから、もし川の水を汚 すと下流 にも影響 がおよんでしまいます。川はきれいにしましょう!
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日本列島 には、北 のはしから南 のはしまで「中央分水界 」といって、雨が降 って流 れる水が太平洋側 と日本海側 へと分 かれるさかい目が通 っています。ふつう、中央分水界 は1,000mから3,000mという高 い山の上にありますが、丹波市氷上町石生 を通 っている中央分水界 は、なんと山と山にはさまれたまちの中を通 っていて、95m~100mという低 いところにあります。ここでは中央分水界 は丹波市氷上町石生 にある「水分れ公園 」から「石生交差点 」までの1,250mにわたって道路 の真 ん中 を通 っています。石生交差点付近 の標高 は95m、中央分水界 としては本州 でいちばん低 いところです。このあたりの地名 は「水分 れ」とよばれています。日本列島 のほぼ真 ん中 あたりを人間 の背骨 のように走 っている中央分水界 は、高 い山と山をむすんで壁 のようになっています。でも「水分 れ」は、山と山のすき間 を通 る抜 け道 (すき間 )のような地形 となっているため、見ためは山の上ではない、ふつうのまちにしか見えない不思議 な景色 が広 がっているのです。
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丹波市氷上町石生 の「水分 れ」の南側 に降 った雨水は、太平洋 (瀬戸内海 )側 に流 れる加古川 へ、北側 に降 った雨水は、日本海側 に流 れる由良川 へと流 れていきます。兵庫県加古川市 にある加古川 のいちばん下流部 と、京都府宮津市 ・舞鶴市 にある由良川 のいちばん下流部 をつなぐ、南北 にのびた低 い土地 を「氷上回廊 」とよんでいます。わずか95m~100mの高 さの中央分水界 「水分 れ」がある丹波市氷上町石生 を中心 に「氷上回廊 」は日本海 と瀬戸内海 をむすぶ一本の道 のようになっています。
高 いところにある中央分水界 (線 ①)と低 いところにある氷上回廊 (線 ②)が交 わる場所 が「水分 れ(★)」となっています。
日本海 と瀬戸内海 をむすび、中央分水界 の高 さがわずか95mですから、もし海面 が100m上がったら、本州 は「氷上回廊 」で2つに分 かれてしまうことになります。このように、「水分 れ」のある丹波市氷上町石生 を中心 に、日本海 と瀬戸内海 をむすぶ山と山にはさまれた低 い土地 が「廊下 」のように細長 くのびていることから「氷上回廊 」とよばれています。
「氷上回廊 」では、高 い山を越 える苦労 をしなくても、日本海側 と太平洋側 のどちらにも楽 に行 き来 できることから、昔 から人や動物 、さまざまな物 や文化 が通 ってきました。今 も人や車、電車 が行 きかい、瀬戸内海 と日本海 をむすぶ一本の道 として大きな役割 をはたしています。
また、丹波市氷上町石生 の「水分 れ」周辺 が多 くの命 が出会 って行 きかう場所 となっていることを、宮殿 やお寺 の「回廊 」にたとえて「氷上回廊 」と名づけられました。
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丹波市青垣町 を流 れる佐治川 (加古川 の上流 )で、日本海側 の川にいるマスの仲間 ・ヤマメが発見 されました。中央分水界 のある高 い山で分 けられた川魚 はそれぞれの場所 で進化 しており、ふつう太平洋側 (瀬戸内海側 )にはアマゴ(ヤマメに近 いなかま)が生息 しています。
しかし、ヤマメは「氷上回廊 」を通 りぬけて太平洋側 にやって来 たのです。その理由 は、むかし洪水 の時 に日本海側 と太平洋 (瀬戸内海 )側 の川の水が入りまじったからではないかといわれています。
また、地面 が動 いた影響 により川 の流 れも逆転 していたとも言われています。
丹波市 でたくさんの種類 の生きものや植物 を見ることができるのは、丹波市 には本州 でいちばん低 い中央分水界 が通 り、日本海側 にすむ生きものと太平洋側 にすむ生きものなどの通 り道 としての役割 をはたしている「氷上回廊 」のまん中にあるからだと考 えられています。
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中央分水界 が95mという低 いところに通 る「水分 れ」をはさんだ氷上回廊 では、高 い山を越 えるような苦労 をしなくても楽 に行 き来 できるため、今 から約 2万 5千年から約 3万 3千年前 の太古 の昔 に、ここをナウマンゾウの群 れが通 ったといわれています。丹波市春日町 にある七日市遺跡 では、人が狩 りでナウマンゾウをつかまえるために使 ったと思 われる、石で作 った「ヤリ先」や「おの」が見つかっています。
また加古川 や由良川 沿 いにある遺跡 からは、弥生 時代 のまつりで使 ったベルでないかといわれている青銅製 の「銅鐸 」が見つかっていて、氷上回廊 での人の行 き来 を通 じていろいろな文化 が伝 わったと考 えられています。
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とても
低 いところに分水界 があるということは、物 を運 ぶ時 に高 い山をこえる必要 がないということです。その地形 をいかして、今 から約 400年前 に加古川 で舟 を使 って物 を運 ぶ「舟運 」がはじまりました。
1604年(慶長 9年)に、加古川 が流 れる今 の丹波市氷上町本郷 には、舟 を岸 につける「舟座 」※1ができて、高瀬舟 ※2が行 きかい、但馬 (今 の兵庫県北部)や丹後 (今 の京都府北部 )からは、たくさんの物 が集 まってにぎわいました。本郷 の舟座 から運 ばれた荷物 は、米 や大豆 などの食 べ物 やたき木や炭 などの燃料 、加古川側 からもどってくる荷物 には、塩 や肥料 となる干 したイワシ、着物 の染料 、灯油 などがありました。
このように「氷上回廊」を流 れる加古川 は、太平洋側 (瀬戸内海側 )と山間部 、また日本海側 をつなぐ「物 の道 」になりました。また鉄道 が開通 する前 には、加古川 ~竹田川 ~由良川 にパナマ運河 のような水路 を通 そうという夢 のような計画 もありました。でも明治 から大正時代 に次々 と鉄道 が通 るようになって、物 を運 ぶ主役 は舟運 から鉄道 へと変 わっていったという歴史 があります。
※1舟座 …舟運 を行 う同業者 の組合 、または舟運取引 を行 う場所 。
※2高瀬舟 …浅 い川でも物 を運 べるように底 を平 らにした舟
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日本海側 の冬 は、冷 たい風 が吹 いてたくさんの雪 が降 ることはよく知 られています。そして瀬戸内海側 は、雨が少 なく温 かいおだやかな気候 がとくちょうです。兵庫県丹波市 あたりでこの2つの気候 が出合 い、その独特 の気候 と豊 かな大地 から、丹波市 ならではの農産物 や食 の文化 がうまれました。
そして秋 から冬 にかけて昼 と夜 の温度 の差 によって発生 する「丹波霧 」が、よい作物 ができる秘密 といわれていて、「丹波三宝 」と呼 ばれる「丹波栗 」「丹波黒大豆 」「丹波大納言小豆 」の3つの特産品 は、そのおいしさから「丹波 ブランド」とよばれ、全国 によく知 られています。
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丹波市氷上町石生 の水分 れ公園内 にある「水分 れフィールドミュージアム」では、 本州 でいちばん低 い中央分水界 がある「水分 れ」についてわかりやすく紹介 しています。水分 れ周辺 の土地 や、すんでいる魚 などを中心 にした生きもの、舟 を使 ってさまざまな物 を運 んだ「加古川 の舟運 」の歴史 について勉強 できます。
すぐとなりにある「水分 れ公園 」には、人工 の滝 や池 ・野外 ステージ・広場 などがあります。また公園内 を流 れる川(高谷川 )には日本海側 と瀬戸内海側 への「水の分 かれ」をイメージできるポイントがあります。
※実際 の中央分水界 (水の分 かれ)ではありません。
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水分 れ公園 近 くにある観音堂 から山道 を通 って、向山連山 を約 2時間 ぐらい歩 くと向山展望所 に着 きます。とちゅうにある岩座展望所 から向山展望所 までの道 からは、中央分水界 や水分 れ、氷上回廊 の景色 が広 がっています。山道 では、春 はコブシやヒカゲツツジ、サラサドウダンなど、いろいろな花 を見 ることができ、秋 は美 しい紅葉 を楽 しめます。
山 のふもとにある鳳翔寺 への山道 を通 れば、上 り下 りを合 わせて約 4時間 ぐらいのハイキングコースになっています。それに4月中旬 になると、ヒカゲツツジの花 が満開 になって、花 のトンネルを歩 くことができます。